親友で作家を夢見るI君がいる。文学賞の公募に応募する以外にも、大胆にも出版社へ乗り込んで自分の作品を売り込む勢いだ。中学時代はよく遊んだ仲で、一緒に水泳に行ったり映画を語ったりした思い出がある。旭川で父親の料亭を継ぐか自分の夢を選ぶかで悩んだすえ、結局京都の料亭に修行に出た。父親の顔色を伺いながら生きることに反発し、父親と衝突してしまい旭川を去ることになった。20歳の時I君は職場の年上の仲居と結婚した。10歳以上の歳の差結婚だった。早くに両親が離婚していて愛情に飢えていたのだろう。一人娘を授かり、そのあと東京に移り住んだ。父親も亡くなり片身の包丁一式だけが残った。それを受け入れたことで父親と和解という形になった。父親の不器用な愛情表現がわかるころには父親はこの世にいないのは残酷すぎる。I君は東京で旭川出身者を集め懇親会を主催している。昔から見切り発車で行動に出てしまい周りからひんしゅくを買うようなところがあり、懇親会事態には興味はあるがI君との付き合いは避けたいと言う参加希望者がいる。人間関係のトラブルが続くのには原因があるだろうが、生来の特性であり更生するのは難しい。一匹狼で生きていくI君と自分はともに文学を志す者同士似ているところが多い。夜通し酒を酌み交わし、果てしない文学論を戦わせてみたい。とはいえ、自分は純文学アレルギーで難しいことは理解できない。書く物もどこかで読んだことの受け売りである。ただいえるのは、二番煎じでもいいので自分の頭で考えることの大切さだ。今はスマホがあるので疑問に思うことはその場で答えを検索できる。便利であるがこれでは脳みそがつるつるになって機能停止してしまいそうだ。今、まけまけで週に一度俳句の会がある。お題が与えられるので頭をひねらなければならない。俳句とはどんな物か知らないまま詠んでいることもあって、幼稚な作品と笑われるかもしれないが、そんなことで萎縮するのはもったいない。我を忘れて没頭できるのが創作の時間だ。
イガチョフ