地下鉄麻生駅で人身事故が発生した。早朝の通勤・通学の利用客がピークの時間帯での事故だった。この一報を知ったのは、一番初めに家を出る高校生の娘からの連絡だった。テレビのテロップが流れ、麻生駅で70代の男性が列車に接触したことを知った。麻生駅は始発駅で、中央バスによる代替輸送が運行された。娘は友達の母親が車でピックアップしてくれたため、学校までたどり着くことができた。午前9時ごろに全線再開との情報が入ったが、自分はまけまけまで歩くつもりでアパートを出た。地下鉄の出口があるバス通りは、いつもより車が多く渋滞していた。歩道を歩く人もいつもより多いのは明らかだった。麻生の五叉路まで来ると警察の車両の赤色灯が目に付いた。麻生ターミナルには代替バスと表示されたバスが次々と到着していた。交通手段をJRに切り換えた人々でJR新琴似駅に人が殺到した。まけまけの近所にある創成高校の女子学生が同じ方向に向って歩いている。地下鉄の人身事故はホームにゲートが設置されてから激減した。早まった行動に駆られる人にいくら命の尊さを訴えても耳には届かない。この世の苦しみに終わりが来る保証はない。この世とおさらばすれば何もかも解決と考えるのは安直過ぎる。「迷惑」という言葉は使いたくないが、事故の影響を受けた人一人ひとりの胸に何か後味の悪い嫌な印象を残す。追い詰められて視野が狭くなると他人のことなど想像も付かなくなるのはわかる。黙っていても人はいずれお迎えが来る。そう先走ることはない。こういう事故を起こした人がその後どういう人生を歩むのかは報道されない。損害賠償請求されてその返済地獄で苦しむことになるのだろうか。この辺の話を知れば考えを改めて思いとどまるのではないだろうか。結局この男性は足にけがをして病院に運ばれたという。生きようという力はもう枯れているかもしれない。苦しくても生きなければならない。「四苦八苦」人間のあらゆる苦しみはこの一言でまとめられる。その程度だから耐えていけるはずだ。
イガチョフ