閉じた世界は生きやすい。手の届く範囲の夢を実現すればいい。知った顔ばかりで安心感が違う。今まさに、まけまけと我が家を基点とした生活は閉じている。たまに外部の人間と接触はある。それなりに興味はあるが、深追いしない。適当に付き合っているので、相手も察しがついているようだ。テレビニュースも新聞の記事もシャットアウト。よほど重要なことはこちらから求めることもなく伝わる。誰かが親切で教えてくれるからだ。偏屈な人間のようだが、未知の人とお付き合いできたところで得るものは少ない。それより身近な人間との付き合いを大事にしたい。個人が世界と密接に繋がっているとは言うが、どこまで本当の話か疑ったほうがいい。年始にあった能登半島の大地震の影響がここ札幌にまで波及しているとは実感が湧かない。「対岸の火事」という言葉がある。当事者にならなければ見えてこない現実が確かにある。その一つが、精神科病院の実態であろう。高校の頃、自転車で毎日のように大きな病院の横通りを走っていた。患者が歩く姿も見かけず、ずいぶん暗い病院だなと思っていた。その後精神科の世話になり、この世にこれほど多くの精神科病院があり、患者があふれている事実を知った。そこで初めて合点がいく。あの時の病院は、今でこそ地域に開かれた総合病院であるが、当時は単科の精神科病院で窓には鉄格子がはめられていたのである。その中で絶望的に暮らさざるを得ない患者がうめき声さえ上げられず息を凝らして長い入院生活を強いられていたのだ。閉じた世界といっても、精神科病院は可視化されない点で自由ではない。療養のために入院しているとは到底思えない。管理する側の論理で運営されているからだ。自由が保障されて始めて安心感が得られる。SNS全盛時代であるが、何もかもオープンにはできていない。閉じた世界で何ができるか一つやってみようと思う。勝負の場を限定することで結果がすぐに出るメリットに魅力を感じる。夢の中で見る奇妙な夢のように、閉じた扉を叩きたい。
イガチョフ