まけまけの午後の授業が終わり、帰る支度をする。作業台に置いた文庫本、スマホ、ボールペン、ノートをバッグにしまう。文庫本は村上春樹の短編集を読んでいる。文章を書く上で参考にしたいからだ。スマホは百科辞典代わりで重宝している。まけまけの座学の時にわからない言葉を調べる。今時の子供は百科辞典とはどういうものか見たこともないだろう。スマホがあればノートもボールペンも必要ないが、人間の脳はデジタル回路ではないので、雑に書けるノートのほうが使い勝手がいい。去年の10月から、函館の文学サークル「800字の会」に原稿を送っている。火曜日の午後1時半過ぎに課題がスマホに届く。課題に沿った文章を800字内外で、書き上げる会だ。函館のメンバーは当日函館中央図書館に集ってその場で書き上げている。エッセイでも創作でもジャンルは自由、書きたいものを綴っている。サークルを主催する女性をはじめメンバーは高齢者で、50歳の自分は若手の部類に入る。旺盛な執筆活動には眼を見張る。課題があれば書きやすいのは確かであるが、課題によりけりだ。『おでん』『パズル』など、これでどうやって文学的な表現をすればいいのか頭を抱えてしまう。それでも『おでん』のときは、自暴自棄になった画家の女を妖艶に描写した。「うまく書いてやろう」と思っていると失敗するもので、何事も謙虚な姿勢で臨むべきだ。できれば、このまま創作活動を続け、実力をつけたい。まだ短い物しか書いていないが、読み手を飽きさせないレベルは維持しているつもりだ。文章は一人で書く行為だが、一人きりで書くのはつらい。それぞれが作品を持ち寄ってする合評会があってこそ文学活動だ。書くこと自体にストレスはない。書き出すまでが大変だ。ノートに思いついた言葉を書きなぐる。やがて言葉と言葉が繋がりだす。頭のどこにも収められていなかった物語が浮かんでくるのは不思議だ。やみ雲に書いてどうにかなるほど甘くはないのが文章だ。
イガチョフ