高校で美術部に所属する娘から、ことあるごとに絵を描くように勧められる。文章は日頃から書いているのだから、鉛筆と紙には触れている。文字を絵にするだけだと気軽に考えればいいだけだ。娘に連れられ画材屋で絵筆と水彩絵の具を購入するところまでいったが、筆を取るのが躊躇われデッサンを数枚描いた以外には先に進んでいない。色を塗るのが下手で、べた塗りになってしまう。「慣れだから何枚も描いているうちに上手くなるよ」と娘に励まされる。画廊に出入りして絵をわかったつもりになっているだけで、やはり絵の真髄は描いてみないと理解できないだろう。別に展覧会に出品するわけでもない。恥ずかしいなら破ってしまえばいいだろう。それに仮に人に見せたところで、あからさまに笑われることもない。そんな態度を取れば人間関係にひびが入る。練習もしないのにいい絵は描けない。娘も未だに入選すらしたことがないのに、それでも描いているということは絵を描くこと自体が好きだからだろう。絵を描いている人は少数派で、ひょっとしたら活躍の場になりうるかもしれない。もし機会があれば、好きなタイプの女性を描きたい。何でも来いとはいかないが、文章では表現できない妖艶とあどけなさが混じったもどかしい年頃の女性を描くのが理想だ。写真を見ながらしかデッサンを描いたことがないのが面白みに欠ける原因ではないだろうか。それも証明写真並みに小さな写真だ。実物の女性を前に筆を取る緊張感はとんでもなく高ぶることだろう。頭の中でしか描写できない活字のオンナでは決して勝ち得ないのは明らかだ。何か絵筆で女性の身体をなでるような肉感みたいな感触を体験できるのではないかと邪でいやらしい想像をしてしまう。自分の才能のなさにうんざりするのは眼に見えているが、自由な表現がまさに生きる喜びに繋がることは確かだ。案外描いた者勝ちかもしれない。文章もそういうところがある。他人からの評価はひとまず置いといて、まず自己満足の世界に浸る喜びを感じたいものだ。
イガチョフ