まけまけで朗読の時間を設けた。初回は佐野洋子著「100万回生きた猫」を回し読みした。この絵本はわが子供たちが幼少の頃読み聞かせしたもので懐かしい。男性3人女性2人で読むことになった。メンバーのAさんは猫好きとあって、この絵本を選んだ。Aさんは落ち着いた女性で言葉数が少ないが、「他にどんな本を読みますか?」と問われると、「聖書」だったり、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」となかなかの読書家だとわかった。「聖書」もまたフィクションとして読めば面白く、いつか機会があったら読み直したいと思う。今回の絵本は立派なトラ猫の不思議な物語で、読むたびに解釈が変わってしまう魅力がある。子供向けに「死」とは何かを考えさせる哲学的な要素もある。「死」は「生」の向こう側にあるのではなく内包されているものであって、日頃から向き合うことで来る「死」の足音に怯えることのないようにしなければならない。もちろん奇想天外な物語なので朗読しながら、ここまで深く思考をめぐらすことはないのだが、読後に残る余韻が頭の隅に尾を引いてしまうのだ。朗読は小学校以来という人がほとんどで、たどたどしい読み方で、いわゆる棒読みになって恥ずかしい思いをした。一冊の絵本を回し読みはできないので、スキャナーで印刷した物を用意するなど工夫をこらした。読み終えた後、お互いに顔を見合わせ、「どうですかね。これからも続けていきますか?」と朗読の意味に対して半信半疑の状態であった。しかし、せっかく始めたのだから、いずれ朗読の成果を発表する場を設けてはどうだろうかと意見が出た。朗読だったら本があればできることで準備も練習時間もそんなに手間を取らないはずだ。また、先日晴れてメンバー入りしたSさんという女性がボランティア活動の一環で朗読をやってみたいという意志があるという。朗読を通して、人の気持ちを理解する能力が向上したり、言語表現が豊かになる。自己表現に苦手意識を持つメンバーにとっては、朗読はいい影響をもたらすのではないだろうか。
イガチョフ